ピエール・ロランの逆襲。総合ではなくステージ優勝を狙う理由とは?

周囲からの期待は、時には力となるが、時として重荷となる。

ヤクルトスワローズの高井雄平は、高校時代には151km/hを超える豪速球を武器に甲子園で活躍し、鳴り物入りで入団した。

速球に注目が集まり、高井と言えばストレートと周囲の期待は増大し、結果として制球難に陥ってしまった。球のスピードがあっても、ストライクが入らないのであれば、一軍では通用しない。高井は大いに伸び悩んだ。

転機が訪れたのは、プロ入り8年目を迎える2009年オフだった。ヤクルトの首脳陣は高校時代通算36本塁打の高井の非凡な打撃センスに注目し、野手転向を薦めたのだ。

プロ入り8年目での野手転向の成功事例はほとんどない。それでも、かつての甲子園のスターは野手での再起を図った。

すると持ち前のバッティングセンスは徐々に発揮され、2014年にはついにレギュラー定着。ベストナインを受賞するリーグを代表する外野手へと成長したのだった。前例のない、遅咲きの野手転向による成功事例となった。

高井が投手として大成出来なかったのは、周囲の過剰な期待が影響したと言っても過言ではないだろう。野手転向の際は、高井に期待する人はほとんどいなかった。

周囲の期待がない中で、高井は自分自身に期待して、日々トレーニングを積んでいたに違いない。2010年シーズンから野手に挑戦し、芽が出る2014年までの4年間は決して楽ではない道のりだったはずだ。

サイクルロードレース界でも、周囲からの期待を背負い続けながらも結果を出せなかった男が、一つの決断を下した。

男の名はピエール・ロラン。かつてツール・ド・フランスでマイヨ・ブランを獲得し、将来を嘱望されたフランス人ライダーだ。

ロランはツールで結果を出してしまった

2011年シーズン、チーム・ユーロップカーに所属していた当時24歳のロランは、自身4度目のグランツールとなるツール・ド・フランスに出場した。

この年のマイヨ・ブラン候補にはロベルト・ヘーシンク、ロマン・クロイツィゲル、バウケ・モレマ、ティージェイ・ヴァンガーデレンらの名前があがっていた。ロランは2008年・2010年のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネで山岳賞を獲得したが、総合上位に食い込むような選手とは見られておらず、ほぼノーマークと言っても良い存在だった。

ロランは何てことのない平坦ステージで2〜3分遅れてしまう一方で、チームのエースであるトマ・ヴォクレールのアシストに徹しながら山岳ステージでは粘り強い走りを見せ、終始上位集団でフィニッシュしていた。

気付けば第18ステージ終了時点で総合11位をキープ。新人賞争いはレイン・ターラマエに次ぐ2位と、大健闘していた。

ロランの運命を分けることになる第19ステージはラルプ・デュエズへの山頂フィニッシュだった。

チームをあげてマイヨ・ジョーヌを着るヴォクレールを守っていたが、ライバルチームの猛攻に遭い、ヴォクレールは遅れてしまう。そこで、チームはロランを先頭集団に送り込む判断を下した。

ラルプ・デュエズでは、アルベルト・コンタドールとサムエル・サンチェスと激しい競り合いをしながら、最後は二人を突き放し、見事ステージ優勝をあげた。ロランにとって初のツールでの勝利であり、2011年ツールではフランス人初となるステージ優勝でもあった。

マイヨ・ブランのターラマエにもタイム差をつけることに成功し、第19ステージにしてマイヨ・ブランを獲得する。翌日の個人TTをマイヨ・ブランを守り抜き、ロランは総合11位(後に10位に繰り上げ)とマイヨ・ブランを獲得した。

2011年のツールは、フランス人であるヴォクレールが予想外の健闘を見せ、マイヨ・ジョーヌを死守し続けたことで、大いに盛り上がった。フランス人によるツール総合優勝は1985年のベルナール・イノー以来、誰も果たしていないことも、ヴォクレールの健闘に拍車をかけていた。

そこへ、24歳の新星ロランの登場である。

ラルプ・デュエズでの力強い走りと、マイヨ・ブランを獲得した将来性に、フランス中がイノーの後継者になり得る存在だと、ロランに期待したことは想像に難くない。

翌2012年のツールでもステージ1勝をあげる活躍を見せ、自身最高の総合8位でフィニッシュした。

しかし、この時点からロラン自身、拭いきれない違和感と戦っていた。

伸び悩むロランは、そもそも総合向きの選手だったのか

2012年のツールは、チームスカイのブラッドリー・ウィギンズがTTでタイムを稼ぎ、山岳ではクリス・フルームら強力なアシスト陣に守られて、危なげなく総合優勝を果たした。

2013年のツールも同様だ。クリス・フルームが稼ぎ出したリードを、強力なアシスト陣に守られながら、本来勝負すべき山岳では淡々とハイペースで刻み続ける展開が続いた。

サイクルロードレースの醍醐味の一つは、山岳での激しい山岳バトルであろう。スカイの戦略は、強力なアシスト陣によって山岳バトルを未然に防ぐものであり、理には適っているが山の醍醐味が失われたレースを味気なく感じるファンは多くいたに違いない。

ロラン自身も、強く感じていたことで、TTでリードを築いて、あとは淡々と同じペースで登り続ける総合争いに、価値を見出だせずにいたのだった。

そもそもラルプ・デュエズでの激闘のように、激しい戦いを望むロランにとって、ペースで走ることが苦手なのだ。その特性はTTにも現れ、ロランのTTは長年の課題となっていた。プロコンチネンタルチームであるユーロップカーにはスカイのような強力なアシストを何名も用意することも難しかった。

ゆえに、ロランのツールでの成績は完全に伸び悩んだ。

チームスカイが全盛を誇る支配的なレース展開が続き、ロランは2013年ツール総合24位、2014年ツール総合11位、2015年ツール総合10位と微妙な結果が続く。

ロランが一瞬の輝きを取り戻したのは2014年のジロ・デ・イタリアだった。

ラルプ・デュエズのような激しい山岳ステージが随所に散りばめられたジロでは、ロラン本来の闘争心溢れる走りと相性ピッタリである。表彰台こそ逃したが、総合4位でフィニッシュした。

しかしツールでは伸び悩むロランを横目に、フランス人の期待はいつしかロメン・バルデやティボー・ピノに向けられるようになった。ロランは過去の人として葬り去られんとしていた。

キャノンデールに移籍するも転機とならず

2016年シーズンは、ワールドツアーチームのキャノンデールに移籍した。

『キャノンデールでは科学的トレーニングの進歩が凄まじい。フランスはまるで石器時代のようだよ』など、古巣へのディスを含みつつ、キャノンデールでは最新鋭のトレーニングを積みながら、苦手のTTの克服に乗り出していた。

ところが、パリ〜ニース、ブエルタ・シクリスタ・ア・パイスバスコ、ツール・ド・ロマンディ、クリテリウム・ドゥ・ドーフィネと、ステージレースでは全く良いところを見せられないまま、ツールにはエースナンバーを背負って出場した。

山岳ステージでは、連日のように遅れを喫し、総合優勝争いの圏外へと落ちてしまった。

そのようなドン底で、ロランは総合上位を狙うことを諦めた。ここから、総合上位を狙っていた時には見られなかった、逃げに乗るロランが度々見られるようになる。ロランは逃げに乗り続け、何度も逃げ集団からのアタックを試みた。

総合上位入賞を課せられていた身体では、一瞬の爆発力に欠ける。ロランのアタックはことごとく実らずじまいだった。それでも、ロランは果敢に攻めた。

第19ステージではステージ優勝を狙って先頭集団から飛び出した。ロランがツールで初勝利した2011年第19ステージと同様に、この時点ではフランス人によるステージ優勝者が一人もいないという展開も一緒だった。

集団から飛び出したロランは、後続集団との差を開くべく、ダウンヒルで飛ばしていた。この日は強い雨が降っていたこともあり、スリッピーなダウンヒルが続くなか、ロランは落車してコースアウトしてしまう。

この瞬間にロランのステージ優勝の芽は潰えた。

ロランは泣いた。総合上位も絶望的、ステージ優勝も絶望的、ツールでフランス人によるステージ優勝がゼロというフランス人選手にとって汚点を生み出しかねない悔しさから泣いたのだろう。

ロメン・バルデが決死の攻撃を仕掛けてステージ優勝を飾ったため、フランス人選手によるステージ優勝ゼロという憂き目は避けられたものの、ロランの中で何かを悟った瞬間だったに違いない。

続くブエルタ・ア・エスパーニャでは、最初から総合上位を狙う走りではなく、ステージ優勝を狙ったアグレッシブな走りに終始した。ステージ優勝こそあげられなかったものの、最後まで攻撃性を失わなかったロランの目は、間違いなく生き生きとしていた。

2017年は総合を狙わないと公言、ステージ優勝と山岳賞を狙う

キャノンデール・ドラパックに移籍して2年目を迎える、2017年のロランの計画が発表された。

ジロとツールへ出場する予定と発表されたが、それらは総合上位を狙わず、ステージ優勝と山岳賞を狙って走るというものだ。

様々な制約と、ロランが苦手とするペース走行や守りの走りを強いられる総合争いから身を引き、ロラン本来の闘争心溢れる攻撃的な走りを存分活かすことが出来るステージ優勝狙いの選手として再起を図る決断を下したのだ。

ブエルタで見た、逃げに乗りアタックを仕掛けるロランの生き生きとした姿を見る限り、この決断はロランを良い方向に導くものだろうと期待している。

ロランは逃げに乗ることが得意な選手である。厳しい登りでアタックを仕掛け、抜きつ抜かれつの山岳バトルの中でこそ、輝く選手であることを誰よりもロラン自身が知っているからだ。

キャノンデールの優秀なトレーニングプログラムは、今こそロランに必要なものとなるだろう。ロランを総合仕様ではなく、闘争心溢れるファイター仕様の脚に仕上げることは、キャノンデールであれば造作にもないことだろう。

2011年のラルプ・デュエズのような野性味溢れる走りを取り戻し、苛烈な攻撃性を発揮するロランの姿が楽しみだ。

ピエール・ロランの逆襲がいま始まる。

Rendez-Vous sur le vélo…

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