ヨーロッパを旅行している時に感じたことは、かつて日本に訪れたことがある人ほど、フレンドリーに話しかけてくる人が多いです。
「日本はどうだった?」と聞くと、「文化が面白い」「お寺や山の景色が美しい」「やっぱり生魚は苦手」というような感想をよく聞きます。
ヨーロッパから日本まで、最短でも10時間近くかかる辺境の島国まで、わざわざ行ってみようと思う人は、ヨーロッパとは明らかに違う文化を形成している東洋の近代国家に興味津々なのでしょう。
欧米人にとっての日本とは、ハマる人はとことんハマるし、ハマらない人にはとことんハマらないような、好き嫌いの分かれる国ではないかと思います。
日本の持つ不思議な魅力に取り憑かれた欧米人が一人、10月に来日します。
”ザ・スパルタクス”ファビアン・カンチェラーラ。偉大なるサイクルロードレーサーが、現役最後のレースを走るために日本にやって来ます。
リオ五輪個人TTで金メダル獲得が最高の花道だと、誰しもが思った
昨シーズンのカンチェラーラには、「らしさ」が見られませんでした。
相次ぐ落車によって、二度も骨折するなど、『世界最速』『宇宙人』の姿はそこにはありませんでした。
宇宙人も年齢には勝てないのか、と誰しも思う中で2016年シーズン限りでの引退を発表します。
すると、往年の輝きを取り戻します。
ストラーデ・ビアンケで通算3度目の優勝、ティレーノ~アドリアティコの個人TTステージ優勝、と『世界最速』を取り戻しつつありました。
しかし、ツール・デ・フランドルではピーター・サガンに明らかな力負けを喫し、パリ〜ルーベでは集団内で落車するなど、やはり明らかな衰えが見えてしまい、本当に引退するんだな…と、ファンは現実を受け入れ始めました。
ツール・ド・フランスでは、母国スイスを走るステージでもあまり良いところが見られないまま、リオ五輪に備えて途中リタイアをします。
リオ五輪個人TTのコースは、アップダウンの多いレイアウトであるため、金メダルの本命は登りに強いトム・ドゥムランやクリス・フルームだと目されていました。
その中で、カンチェラーラは第1計測ポイントからトップタイムを記録し、途中ペースが落ちる区間もありましたが、後半は猛烈なスピードでドゥムランとフルームを圧倒し、有終の美を飾る金メダルを獲得しました。
まさに『世界最速』のまま引退という、素晴らしい花道を自ら飾る勝利となりました。
ジャパンカップ クリテリウムに来日・参戦決定のニュース
そのカンチェラーラが、ジャパンカップの前日に行われる『ジャパンカップクリテリウム』への出場を決めました。
※参考:ジャパンカップ2016概要発表 モレマ、ヘイマン、ボアッソンハーゲンらが出場 カンチェラーラの最終レース
カンチェラーラが初めて日本に訪れたのは2002年のことです。同年のジャパンカップに出場し、27位で完走しました。
※参考:Utsunomiya-shi 2002
Japan Cup – Cycling Archives
それ以来、しばらく日本とは縁のない選手生活を送ります。
再来日のきっかけは、別府史之の存在でしょう。
別府史之は2014年にトレック・ファクトリーレーシング(現トレック・セガフレード)に移籍して、カンチェラーラとチームメイトになります。
この年のジャパンカップのメンバーには、別府史之だけでなくカンチェラーラも選ばれました。
12年前に比べて、カンチェラーラの名声は世界中に轟き、日本国内でも非常に人気のあるプロロードレーサーであったため、日本中のサイクルロードレースファンがカンチェラーラの来日を心待ちにしていたことでしょう。
しかし、カンチェラーラは来日直前に、MTBでトレーニングしているところ激しく落車してしまい、意識を失うほどの怪我を負ってしまいます。これが10月15日のことです。
もちろんジャパンカップの欠場が決定し、日本のファンは仕方がないこととは言え、落胆しました。
しかし、17日にはカンチェラーラが怪我をおして来日することが決まります。本人の強い希望とのことです。
ジャパンカップの行われる19日の昼に会場に到着し、ファンサービスに務めました。
この時に、『翌年のジャパンカップの出場は決めていた』と言っていて、翌年のジャパンカップに出場します。
その時の様子をインスタグラムにアップしていました。
他にも『Big crazy welcome in Japan after my long flight(物凄い熱狂的な出迎えに感激!)』とコメントしている写真もアップしています。
日本のサイクルロードレースファンが、これほど熱狂的に自分を歓迎していることに感激したに違いありません。
肝心のレースは途中リタイアに終わってしまいましたが、日本での滞在を満喫した様子で、ジャパンカップ翌日のアフターパーティ後、帰国前に日本語でツイートしています。
来日時の皆様のサポートありがとうございました。本当に日本のみなさんのサポートはいつも一番です。これからスイスに帰りますがまた日本の皆さんに会えるのを楽しみにしています。@trekJapan @Japancup_ofc
— Fabian cancellara (@f_cancellara) 2015年10月19日
また、カンチェラーラの誕生日には、
トレック・ジャパンのフェースブックにたくさんのバースデーメッセージありがとう。明日のミラノーサンレモ、フランドル、パリ〜ルーベの応援お願いします。またみんなに日本で会えること楽しみにしてます。
— Fabian cancellara (@f_cancellara) 2016年3月18日
ともツイートしています。
『またみんなに日本で会えること楽しみにしてます。』
という約束を日本のファンに向けてしていました。
つまり、カンチェラーラは引退レースに日本を選んだ、というよりは日本のファンとの約束を果たすために来日を決めていた、という方が正しいでしょう。
2014年に怪我をおして来日したのも、カンチェラーラの来日を楽しみにしていた日本のファンの期待に応えるためだったと思います。
もちろん、日本のことも大好きでしょうし、日本のファンのことも大好きでしょうし、チームメイトの別府史之へのリスペクトも大いにあると思います。
カンチェラーラは『世界最速』のみならず、一度した約束は絶対に違えない『世界一の紳士』です。
『世界一の紳士』の引退レースとなるジャパンカップクリテリウムは10月22日(土)に開催されます。
今年もカンチェラーラを熱烈に歓迎しましょう!
Rendez-vous sur le vélo!
(執筆時間:1時間20分)