サイバナ

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コラム ロード世界選2018

衝撃のレムコ・イヴェネプール。サッカーへの絶望からアルカンシェルまでの物語とは?

・ジュニアカテゴリーのUCI公認レースでシーズン22勝。
・うち逃げ切り勝利は12回。
・個人タイムトライアルは6戦4勝、残り2回はともに1秒差の2位。
・ベルギー国内選手権、欧州選手権、世界選手権のジュニアロードと個人タイムトライアルそれぞれで優勝。
・ステージレース5戦全勝。
・うち4戦で総合、山岳、ポイント賞ジャージを独占。
・自転車競技を始めたのは1年半前の2017年4月。
・元サッカー選手でベルギーの世代代表チームでは主将を務めたことも。
・2000年生まれの18歳で来シーズンからはアンダー世代を飛び越えてワールドチームのクイックステップフロアーズに加入。

これらが、レムコ・イヴェネプールの簡単なプロフィールだ。

世界選手権ジュニア個人タイムトライアルではブッチギリの優勝を飾り、ジュニアロードでは落車に巻き込まれて2分以上ビハインドを背負いながらも、最終的には2位以下に1分以上差をつけて独走で優勝。2枚のアルカンシェルを獲得した。

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ジュニア世代では頭ひとつふたつ抜きん出ており、もはや敵なしといっても過言ではないだろう。ついたあだ名は「プチ・カンニバル」。”人食い(カンニバル)”の二つ名を持つ、偉大なベルギー人レーサーであるエディ・メルクスの再来と呼ばれているからだ。

逸材中の逸材がどのようにして誕生したのか。今回はイヴェネプールのキャリアを振り返ってみたいと思う。

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サッカーへの絶望から始めた自転車

イヴェネプールはベルギー・フラームス=ブラバント州のスケープダールで生まれた。ベルギーの首都・ブリュッセルから西へ10kmほどの場所である。

父親のパトリックは元プロサイクリストだった。1991年から1994年までプロチームで走り、1993年にはブエルタ・ア・エスパーニャに出場し総合113位で完走、同年のグランプリ・ド・ワロニーで優勝を飾ったことがキャリアのハイライトだ。

アスリートの息子であるレムコは、5歳からサッカーを始めた。自転車レースはベルギーの国技といっても過言ではないが、やはり一番人気のスポーツはサッカーだろう。レムコの出身地から数キロのところに本拠地を構えるアンデルレヒトのユースチームに加入したのだ。

アンデルレヒトはベルギー国内リーグでは史上最多となる34回のリーグ優勝を誇り、欧州カップ戦でも5度の優勝を飾り、1986年には世界ランキング1位のチームとなった名門チームだ。

11歳から14歳までの間は、オランダのアイントホーフェンに本拠地を置くPSVのユースチームに移籍。PSVはオランダリーグで2番目に多い24回のリーグ優勝を誇る、これまた名門チームである。

そして15歳のときに再びアンデルレヒトのユースチームに復帰した。この頃のポジションは左サイドバックだ。豊富な運動量を活かして台頭すると、U15ベルギー代表に選出。15歳から16歳のときにかけて、計9試合の代表戦に出場した。さらに、代表ではキャプテンを任されるなど、ベルギーサッカー界の将来を嘱望された選手だったのだ。

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※イタリアU15代表戦でのイヴェネプール(右)

しかし、イヴェネプールは2016年、16歳のときに大怪我を負ってしまった。長い期間の治療を経て、ピッチに戻ったものの、ベルギー代表から声がかかることはなかった。

イヴェネプールは後に「アンデルレヒト・ユースでは、健全な精神を鍛えるチャンスがあると聞いていたが、私の場合はそうではなかった」と振り返っていた。名門チームに所属し、世代代表の主将を務めるほどのエリート街道まっしぐらだったイヴェネプールにとって、16歳のときに負った大怪我は初めての挫折だっただろう。16歳という多感な時期に直面した挫折に対して、おそらくチームはイヴェネプールへの精神的なケアが十分ではなかったのかもしれない。

チームへの不信感、そしてサッカーに対して抱きはじめた絶望を払拭するためにも、イヴェネプールは環境を変える必要があった。2016年限りでアンデルレヒト・ユースを離れ、KVメヘレンのU19チームへと移籍。KVメヘレンは1989年以来リーグ優勝から遠ざかっている小さなクラブチームだった。名門ではないチームで伸び伸びとプレーするつもりだったのだろう。

しかし、イヴェネプールがサッカー界へ抱いた絶望が解けることはなかった。移籍からわずか3ヶ月あまり経った2017年4月にサッカーを辞めることを決意。父親の薦めもあって、自転車競技を始めようとしたのだ。

同年4月2日に初めて自転車レースに出場。トレーニングは2週間ほどしか積んでおらず、周りのスピードに恐怖を感じることもあったという。ただ、サッカーで培った持ち前の運動量を活かすには自転車競技はもってこいだと確信。4月7日付けでKVメヘレンを退団し、サッカー選手としては引退。今度はプロ自転車選手を目指すことにしたのだった。

ベルギーのU15・U16代表チームで主将を務めた男のポテンシャルは凄まじかった。左サイドバックといえば、日本では長友佑都に代表されるように、ピッチを縦に走り回る運動量が要求されるタフなポジションだ。ここで鍛えた無尽蔵のスタミナが、自転車選手としてのベースとなり、イヴェネプールの独走力を支えていたのだ。経験が重要な集団走行よりも、一人で走ることができるタイムトライアルではレース1年目から好成績を残した。

7月には早くもレースで初勝利を飾った。ライバル選手を置き去りにして、独走に持ち込んでの勝利だった。UCI公認レースでの初勝利はその1ヶ月後の8月5日のことだった。「オーベル〜ティミスター〜ラ・グルエーズ」というジュニアのステージレースの第2ステージで独走勝利。さらに「ラ・フィリップ・ジルベール・ジュニア」というワンデーレースでも独走勝利をあげた。世界選手権ジュニアロードにも出場したが、ここでは完走できず途中リタイアに終わっていた。

そして、2018年。UCI公認レースの初戦はクールネ〜ブリュッセル〜クールネ・ジュニアに出場。エリートクラスのレースと同様に石畳区間も登場する難関コースだったが、イヴェネプールはまたしても独走に持ち込んで勝利。前年のロンド・ファン・フラーンデレンで優勝したフィリップ・ジルベールの真似をして、イヴェネプールも自転車を持ち上げながらフィニッシュした。

まだ自転車競技を始めて1年も経っていないにもかかわらず、すでに格式の高いジュニアのレースで勝利するほどの選手となっていた。

それ以降の活躍は冒頭に書き記したとおり、このシーズンは凄まじい勝ちっぷりを見せ、世界選手権では2枚のアルカンシェルを獲得するに至ったのだ。ジュニアロードでは、シーズン初戦のクールネと同様に再びジルベールスタイルでフィニッシュしたのだ。

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ちなみに、ジルベールがロンドを勝利した2017年4月2日は、イヴェネプールが初めて自転車レースを走った日と同じである。

イヴェネプールの今とこれから

世界選ジュニア個人タイムトライアルでイヴェネプールが記録した33分15秒というタイムは、同じコースを使用したU23個人タイムトライアルの結果と照らし合わせると、トップから44秒遅れの4位タイとなる。

その4位の選手はイタリアのエドアルド・アッフィーニで、来年からミッチェルトン・スコットに加入する22歳の選手だ。つまり、イヴェネプールはどれだけ凄まじい結果を残していたとしても、現状ではワールドチームのひとりの新人レベルの実力だといえよう。

むしろ、1年半という経験の浅さにより、集団内での高速走行に不慣れな部分が大いにあると思われる。イヴェネプールは独走力が高すぎるため、集団スプリントで争う機会はほとんどなく、競り合いが始まるより遥かに手前からだいたい独走に持ち込んでいるからだ。

冷静に考えると、イヴェネプールはほかのネオプロと比較しても、ワールドツアーを走るにはあまりにも経験が不足しているといえよう。当の本人も「自分はチャンピオンでも何でもなくてまだ1人のジュニア選手」と自覚しており、ワールドチーム1年目から好走を期待するのは少し酷な話ではないかと思う。

だからこそ、クイックステップだ。ジルベールを筆頭にベテランから教えを乞うことができるし、今シーズンネオプロによる勝利数は9と全チームダントツで最多である。若手の育成に定評のあるチームで、最高の経験を積むことが期待できるだろう。

イヴェネプールの今後の走りに、注目していきたい。

見どころは
・1:35:00付近から、謎の逆さになった芸術性の高い家を通過した後に発生した集団落車の様子。

・1:48:10付近から、上り区間で前を走る選手をごぼう抜きしながら、遅れを挽回する走り。

・2:24:00付近から、ベルギーチームのけん引により、逃げ集団とのタイム差を30秒程度まで削ったところで、イヴェネプールがアタックを仕掛けてから、どんどんライバルを振り切るペース走行。

・2:53:00付近から、イヴェネプールのペース走行についていけずに脱落するドイツ人選手。

・3:19:00付近から、勝利を確信したイヴェネプールがベルギーの応援団を煽りながら走る姿から、フィニッシュまで。

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