サイバナ

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コラム ツール・ド・フランス2018

This is G. 男泣きを見せたゲラント・トーマスに感情移入する理由とは?

人前で決して涙を見せない男が、感極まっていた。

第20ステージ、マイヨジョーヌのインタビューで、ゲラント・トーマスはチームキャップを目深に被り、手で目を覆いながら下を俯いたきり、次の言葉を紡ぐことができなかった。

2015年ツールでは、他の選手に追突されコースアウト。街灯に頭をぶつけており、レース後は「今は特に問題ない。そのうち医者が名前と生年月日を聞いてくると思うから、クリス・フルームと名乗るつもり」とコメント。昨年第9ステージで落車リタイアした後、ボロボロのジャージを自身のSNSに「売り物のジャージです。一度しか着用していません。100%の状態ではなく、使用感があります。洗って使ってください。」と投稿したと思いきや、続いて脂質たっぷりなピザの写真に「タンパク質は骨の回復に効くの?」というコメントを添えて投稿していた。そう、どこかクールでユーモアたっぷりなスポーツ観戦と奥さんが大好きなウェールズ人。それがトーマスに対するイメージをつくり出していた。

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一方で、TUE問題でチーム代表のデイブ・ブレイルスフォードへの批判が高まっている最中、トーマスは先陣を切って「100%デイブを支持する」と表明。これを契機にチームメイトも続々とブレイルスフォードへの支持を表明していったことがある。

スカイの表の顔は、ブラッドリー・ウィギンスとクリス・フルームだったかもしれないが、トーマスは実質的なキャプテンとしてチームを下から支える大黒柱だった。

そのトーマスの勝利を語る上で、どうしても話しておきたいことは、スカイ代表のデイブ・ブレイルスフォードについてだ。

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イギリス自転車界繁栄の礎を築いた人

ブレイルスフォードは2002年にイギリス自転車競技団体であるブリティッシュ・サイクリングの代表に就任した。目標はもちろんオリンピックで金メダルを獲得することであったが、2002年時点でイギリス代表が自転車競技で獲得した金メダルの数はたったの1枚だった。

ブレイルスフォードは経営学修士、いわゆるMBAを取得しており、いわばマネジメントのプロフェッショナルといえる人物だった。自転車競技にも経営の手法を取り入れた。業務改善、つまりパフォーマンス向上のために様々な取り組みを行った結果、早速2004年アテネ五輪で個人パシュートのブラッドリー・ウィギンスを含む2枚の金メダルを獲得。

すると2008年の北京五輪で8個の金メダル、母国開催となった2012年のロンドン五輪でも8個、2016年リオ五輪でも6個の金メダルを獲得した。イギリス自転車界の全盛の礎を築いたのがブレイルスフォードだったのだ。

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トーマスはブレイルスフォードの薫陶を受けながら育ち、2008年北京五輪とロンドン五輪で、チームパシュートの一員として2枚の金メダルを獲得していた。

そうして、2010年にはブレイルスフォードが代表となり、チームスカイが誕生したのだった。同チームのミッションはイギリス人初のマイヨジョーヌを5年以内に輩出することを掲げ、人々がスカイのジャージを着て自転車に乗りたくなるようなヒーローを誕生させることだった。

2012年にウィギンスがイギリス人初のマイヨジョーヌとなると、2013・2015〜2017年と4度にわたってフルームが総合優勝。しかし、ウィギンスのTUE問題やチームスカイが強すぎるがために批判を浴びることもあれば、フルームはサルブタモール問題で揺れるなど、積み上げた圧倒的な成績とは裏腹に、チームには逆風が吹き続けるような日々が続いていた。

一方でトーマスはスカイのアシストとしてキャリアを積んでいた。2012年シーズンまではトラックレーサーとしての活動が中心だったこともあり、リードアウトトレインの一角を担ったり、石畳の春のクラシック要員として起用されることが多かった。

2015年ツールでは、フルームの山岳アシストを務めながら第19ステージまで総合4位につけるなど、一流のグランツールレーサーと互角に渡り合える力を披露。

やはり、最大の転機は2016年パリ〜ニースでの総合優勝ではないだろうか。ワールドツアーのステージレースで初めて総合をとったことで、トーマスはグランツールへの野心が芽生えはじめる。

この時、トーマスは29歳。ナイロ・キンタナ、ロマン・バルデ、トム・デュムラン、ファビオ・アルといった1990年生まれの新世代の台頭を間近に見ているなかで、トーマスの残された時間は決して多くはなかった。

そして2017年ジロではミケル・ランダと共同という形ではあるものの、初めてグランツールでエースを担うこととなった。しかし、結果は第9ステージでの落車負傷の影響で無念のリタイア。

2018年シーズンもジロでエースを担う予定だったが、急遽フルームが出場することとなり、トーマスはエースとして出場することができなくなった。

一般社会で例えるならば、新卒で入社して地道に成果を積み上げて9年。ようやくビックプロジェクトの担当に指名されたにもかかわらず、「やっぱりエース社員のフルームくんにやってもらうことにしたよ」と宣告されては、トーマスでなくても不貞腐れるだろう。会社は僕のことを大事に考えていないんだと、転職も考えたくなるだろう。

だが、社長のブレイルスフォードはトーマスと話し合い、「ジロではなく、ツールで主担をやってみないか?」と持ちかける。4度の成功を収めているフルームと共同で担当することにはなるが、トーマスの立場は保証する、とブレイルスフォードがいったかどうかはわからない。

トーマスはトーマスで、ブレイルスフォードへの恩義を感じているし、社長のブレイルスフォードにとっても、これ以上優秀な社員に会社を辞められてもらっても困る。フルームとの共同プロジェクトという方針は、ちょうどいい着地点であった。問題はうまくいくかどうかだ。

そもそもフルーム自身も、上司であるウィギンスが主担のプロジェクトで、一人で客先に出向いて勝手に契約を取ってくるようなヤンチャな仕事ぶりを見せていた。当然、その時の会社の雰囲気は最悪で、居場所を失ったウィギンスはスカイ社を去ることになった。

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フルームとトーマスは同期入社のよしみ。研修も一緒に受け、出張するときも同じホテル。いわゆるひとつの親友というやつだ。

ウィギンス先輩とはあんなことになったけど、トーマスとはそうなってはならない。フルームもトーマスも同じ意見だったことだろう。

トーマスはトーマスの仕事をする、フルームはフルームの仕事をする。そのなかでもし2人が争う展開になった場合は、タイムトライアルでケリをつけようと、そんな取り決めだったのではないだろうか。

しかし、フルームが初日に落車するトラブルもあり、終盤の山岳ステージでやや不調だったこともあり、第19ステージを終えて首位のトーマスとは2分37秒差だった。もはや逆転総合優勝は誰の目から見ても厳しい。

最後は花を飾ろうと、フルームは全開でタイムトライアルに挑んだ。そして、トーマスも男の約束を果たさんと、安全に走り抜くのではなく全開でコースを攻めた。

その結果、トーマスは第1計測ポイントでフルームを14秒上回り、第2計測で13秒上回っていた。誰の目に見ても、今年のツールで最強の男はトーマスだと明らかになった瞬間だった。

コーナーで落車しかける場面も見られるほどに攻めていたトーマスは、チームディレクターのニコラ・ポルタルに「落ち着け、スピードを抑えろ。総合優勝することを考えよう」となだめられるほどだった。

後半は安全に流したトーマスは、フルームから13秒遅れでフィニッシュ。ガッツポーズをし、雄叫びをあげながら、実質的に総合優勝を確定させたのだった。

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フィニッシュ直後にトーマスを出迎えたのは最愛の妻・サラさんだった。トーマスは妻がレースを見に来ていることは知らず、サプライズだったようだ。

そして、先にフィニッシュしていたフルームがトーマスの元に訪れる。両者は言葉をかわした後、フルームは満面の笑みでトーマスを抱きしめた。

表彰に向けて、表彰台の裏の待機スペースに移動すると、恩師であるブレイルスフォードが出迎えた。そこでトーマスは感情を抑えることができなくなった。マイヨジョーヌを獲得したのは、紛れもなくトーマス自身の努力によるものだ。だが、ブレイルスフォードがいなければ今のトーマスもいなかった。プロ選手へのきっかけを作ってくれた恩師には感謝してもしきれなかっただろう。

プロスポーツの世界はある意味では非情である。どれだけ努力を積み重ねたとしても、持って生まれし才能の前では全く通用しないこともザラにあるからだ。

フルームとウィギンスはイギリス自転車界に誕生したスーパースターだった。だが、2人とも類稀なる身体能力を有しており、さらに不断の努力を積み重ねたことで、ウィギンスはオリンピックの自転車競技で歴代最多の8個の金メダルを獲得、フルームは史上初のツール・ブエルタのダブルツールを達成、年をまたいでグランツール3連勝と、誰にも届かないような素晴らしい功績を残した。

ウィギンスとフルームの2人がひまわりだとすれば、トーマスは月見草だろう。

とどのつまり、トーマスとは庶民派ヒーローなのだ。何者でもなかった時から地道な努力の積み重ねにより、スーパースターたちを押しのけて頂点に立つサクセスストーリーは、誰にだって可能性のある夢物語。それを実現したトーマスに、私たちは感情移入するのではないだろうか。

数年後、イギリスの町並みでチームスカイのジャージを着て自転車に乗る子供たちに聞いてみたい。好きな自転車選手は誰ですか?と。

その子供は笑顔でこう答えるだろう。

「ぼくはGが大好きなんだ!」

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-コラム, ツール・ド・フランス2018