我々、サイクルロードレースファンにとって、本当の意味でのシーズンインは、北のクラシック開幕戦となるオンループ・ヘット・ニュースブラッド(※長いので以降はOHNB)を見終えたときではないだろうか。
ロンド・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベを最高峰とし、OHNBから始まる一連のベルギーとフランス北部を中心としたワンデークラシックシリーズこそが、サイクルロードレースの至高であると考えるファンは多い。何を隠そう筆者もその一人だ。もちろんUAEツアー(例年であればツアー・ダウンアンダー)にも心躍らせてはいたものの、OHNBのワクワク感には敵わない。
そして、その北のクラシックシリーズを最も得意としているチームがドゥクーニンク・クイックステップだ。最近は優秀なクライマーも増え、ステージレース総合も狙えるチームになってきたものの、クイックステップが求めるものは、とにかく勝利を重ねること。特に北のクラシックへの意気込みは並々ならぬものがある。
2018年シーズンからウルフパック(狼の群れ)をチームテーマに掲げ、固定のエースで勝利を目指すのではなく、チーム全体で貪欲に勝利を狙うスタイルを確立。エース級のスター選手が退団しても、それまでアシストだった選手や若手選手の台頭が目覚ましく、2020年まで8シーズン連続で最多勝チームとなっている。
ジュリアン・アラフィリップ
カスパー・アスグリーン
ダヴィデ・バッレリーニ
ティム・デクレルク
イヴ・ランパールト
フロリアン・セネシャル
ゼネク・スティバル
2020年にはチームの新たな試みとして、ツールでマイヨジョーヌ争いにも参加し、アルデンヌクラシックのスペシャリストとしても実績豊富なジュリアン・アラフィリップが、「クラシックの王様」ことロンド・ファン・フラーンデレンに初参戦した。落車リタイアとなったものの、終盤まで表彰台確実な走りを見せていたアラフィリップが北のクラシック開幕戦にも登場だ。
アスグリーンは2020年クールネ〜ブリュッセル〜クールネの勝者。ランパールトはドワルス・ドール・フラーンデレン2連覇など北クラ通算5勝を誇る。スティバルは2年前のOHNBの勝者だ。
セネシャルはワールドツアーでの勝利はないが、2019年のル・サミンを勝ち、今季もシーズン初戦のクラシカ・ド・アルメリアで2位だった。バッレリーニは今季のツール・ド・ラ・プロヴァンスで第1・2ステージと連勝を飾っていた。
この中で明確にアシストといえる存在はデクレルクのみ。「トラクター」の異名を持ち、序盤から中盤の集団けん引をほぼ一人で担うことができるタフな選手だ。デクレルクがいるからこそ、誰でも勝利が狙えるし、実績豊富な6人を同時に起用する超攻撃的な布陣を敷くことができるのだ。
というわけで、クイックステップのOHNBでの立ち回りを振り返っていきたいと思う。
場面1:レース前
下馬評ではアラフィリップの勝利を予想する意見が多数を占めていた。ProCyclingStatsの予想ゲームでの一番人気はアラフィリップで、2番人気であるグレッグ・ファンアーヴェルマートの2倍以上の支持を得ていた。
昨年のロンドの走りを踏まえると、ロンドに似たコースであるOHNBで最も成果を残せるのはアラフィリップだと考えるのは自然だろう。そして、クイックステップは実際にアラフィリップをエースとしてレースを進めていくことになった。
場面2:序盤〜残り50km付近
序盤から集団けん引を担い続け、逃げ集団とのタイムを最大8分超から2分程度まで縮めたところで、デクレルクが任務終了。次のけん引役はランパールト、次いでアスグリーンという体制で、とにかくアラフィリップを集団先頭付近に待機させる戦術をとっていた。
一方、スティバル、バッレリーニ、セネシャルに動きはなく、この時点でもエースはアラフィリップであることが伺い知れた。
場面3:残り51km地点
先頭で集団けん引していたランパールトがコーナーで滑って落車。クイックステップは一時的にレースの主導権を失ってしまった。
アスグリーンがアラフィリップの護衛に回ったものの、ライバルチームの攻撃を許す展開となってしまった。クイックステップにとっては一つ目の誤算であるのだが、次の展開に備えてアラフィリップ、スティバル、バッレリーニらは集団前方で待機していた。
また落車したランパールトに対しては、仕事を終え集団から遅れていたデクレルクが引き上げていた。本当にデクレルクは働き者である。
場面4:残り42km付近
マッテオ・トレンティンのアタックを皮切りに、集団から10数人の選手が抜け出す展開となった。アラフィリップは着実にこの動きに反応。さらにスティバス、バッレリーニもブリッジに成功。抜け出した精鋭集団のなかでクイックステップは唯一複数名を擁して、数的優位を築いていた。
アラフィリップ、スティバル、バッレリーニ
マッテオ・トレンティン
グレッグ・ファンアーヴェルマート
クリストフ・ラポルト
セップ・ファンマルク
ライアン・ギボンズ
このメンバーの中で最もスプリント力が高いのはバッレリーニだろう。クイックステップはここまでアラフィリップがエースとして動いてきたが、バッレリーニでも勝利を狙える展開となっていた。
むしろ、この集団のままフィニッシュ地点に向かえば、アラフィリップよりバッレリーニが勝つ可能性の方が高い。しかし、それはライバルチームも理解していることであり、クイックステップはバッレリーニを温存しながら、スティバルとアラフィリップで迫りくる大集団を振り払ってフィニッシュ地点に向かわねばならなかった。その行動には大きなリスク(大集団に追いつかれる可能性が高い)が伴うため、クイックステップは次なる動きへと移った。
場面5:残り32km地点
アラフィリップが単独アタックを決行したのだ。独走に持ち込み、追走集団にはスプリント力の高いバッレリーニがスティバルに守られながら待機しているという理想的な状況を生み出した。
追走集団はトレンティン、ファンアーヴェルマートなどエース級の選手たちが自らローテーションしなくてはならなくなり、消耗は避けられない状況だ。つまり、アラフィリップが逃げれば逃げるほど、バッレリーニに有利に働くのである。
さらに、クイックステップはアラフィリップとバッレリーニのどちらが勝利しても構わないので、アラフィリップが逃げ切ればもちろんOK。逃げ切れずに捕まってもバッレリーニで勝てる算段だ。この時点でクイックステップの勝利はほぼ確実といえただろう。
場面6:残り24km地点
ところが、またしてもトラブルが発生。追走集団内にいたスティバルが何もない直線路で落車したのだ。バッレリーニの位置取りサポート、もしくはアラフィリップ吸収後にアタックしてライバルチームを撹乱させる鉄砲役を担えるスティバルを失ったことで、クイックステップの優位性が大きく揺らいだ。
この時点で最高のパターンはアラフィリップが逃げ切ることだ。しかし、ファンアーヴェルマート、トレンティンなど10人以上の追走集団を振り切ることはかなり大変なことである。これは筆者の見立てであるが、おそらくアラフィリップは逃げ切るつもりはなくて、あくまでバッレリーニの勝利を確実にするための攻撃だったのではないかと思う。つまり、アラフィリップに逃げ切る脚はなかったのであろう。
また追走集団ではなくメイン集団に目を向けると、ランパールト、アスグリーン、セネシャルが健在だった。特にアスグリーンとセネシャルはほぼ消耗していない状況だった。
そこでクイックステップは逃げ切りではなく、一度メイン集団に戻って、ランパールトたちを加えたメンバーでバッレリーニのスプリント勝負にかける作戦へと方針を変えた。
アラフィリップは逃げる脚を緩め、残り20km地点で追走集団に吸収された。さらにまもなくして、追走集団はメイン集団に吸収された。
場面7:残り20km付近からフィニッシュまで
終盤の勝負どころであるカペルミュール、ボスベルグを迎え、散発的なアタックは起きたものの、結局50人近い大集団のまま最後の平坦区間を迎えていた。
クイックステップのやることはバッレリーニでスプリント勝つことだ。
メイン集団にはアレクサンドル・クリストフ、ブライアン・コカール、オリバー・ナーセンなど、大きく消耗していないはずのスプリンターたちが複数残っていた。特に危険な存在はクリストフだろう。しかもリードアウトにトレンティンとスヴェンエリク・ビストラムを活用できる状況だ。
クリストフの弱点はスプリントのかかりが遅い(加速に時間がかかる)ことだ。じわっと横一線で、残り200〜300mからスプリントする展開になるとさすがのバッレリーニもクリストフに敵わないだろう。
OHNBのフィニッシュ地点へ向かうコースは細めでコーナーが3つ続く。そこでクイックステップは先頭をひたすらキープして、高速リードアウトからバッレリーニを発射する戦術を立てた。アラフィリップ、ランパールト、アスグリーンと集団に残ったメンバー総動員で先頭を死守。アルカンシェルといえども特別扱いはなく、むしろアラフィリップはウルフパックの精神を体現して、チームの勝率を最も高める行動に寄与していたのだ。
そして、最後のキーマンはセネシャルだ。ここまで一切チームメイトのフォローには回った様子はなく、セネシャルも脚を満タンに貯めていただろう。追走集団に乗っていたバッレリーニより、フレッシュなセネシャルで勝負する選択もあっただろうが、現場判断でバッレリーニで勝負することとなったのだろう。
クイックステップの支配力は圧倒的で、ラスト10kmはほとんど先頭を他のチームに譲ることなくキープし続けていた。そして、ラスト1km区間はデンマーク王者のアスグリーンが引っ張り、残り500mからセネシャルがバッレリーニを従えて最終リードアウト。断続するコーナーを先頭で走り抜き、満を持してバッレリーニを発射。
クイックステップの高速リードアウトの前では、バッレリーニを追従できる選手は一人もいなかった。最終的には2〜3車身差をつけて圧勝。北のクラシック開幕戦を見事に制したのだった。
クリストフは結果的にパンクで離脱してしまったが、もし残っていたも結末は変わらなかっただろう。それくらい終盤のクイックステップの立ち回りは完璧で付け入る隙がなかった。ランパールトの落車、スティバルの落車と予期せぬトラブルに見舞われても、その時のベストな作戦、つまり一番勝率を高める行動を選手たち、ないし監督が判断して確実に実行できることがクイックステップの強みだろう。
OHNBはウルフパックの思想を100%体現したレースだった。