5大モニュメントのひとつであるイル・ロンバルディア。その開催の一週間後にジャパンカップサイクルロードレースは行われた。しかも、イル・ロンバルディアを制したバウケ・モレマが参戦するという。大きな注目と、高い期待を集めてトレック・セガフレードは来日した。
さらにツール・ド・フランスで2日間マイヨジョーヌを着用したジュリオ・チッコーネもジャパンカップ出場メンバーに選出され、同チームの日本人スター選手である別府史之をはじめ、非常に強力なチームでの参戦となった。
例年、ジャパンカップはシーズン最終戦ということもあり、バカンス気分で観光を楽しみがてらレースをするようなスタンスの海外チームも少なくない。
昨年のトレック・セガフレードは、クリテリウムをジョン・デゲンコルプが制すると、その晩は宇都宮の横丁で優勝トロフィーを持参して酒盛りに興じた。宴は日付が変わる頃まで続いていたという。翌日の本戦は明らかに序盤から調子が悪そうだったファビオ・フェッリーネが13位に入るのが精一杯だった、(言うて13位って凄いんですけどね)
そして、今年もクリテリウムはエドワード・トゥーンスが勝利。さあ、横丁で宴会だ!と思いきや、トレック・セガフレードのメンバーは現地で見当たらず。
というのも、開催地である宇都宮市は1週間前の大型台風の影響で、河川の氾濫、土砂崩れなどの災害に見舞われた地域。急ピッチな復興作業によりほとんど綺麗になっていたものの道路には泥汚れが見られ、家屋浸水により営業休止を余儀なくされた店舗、氾濫した田川の欄干には、川上から流れてきた枝木が引っかかったままであるなど、被災の爪痕が随所に残っていた。
別府の呼びかけにより、レース当日はトレックブースに募金箱を設置。トレック・セガフレードはチーム・スポンサーが一体となり、復興支援を呼びかけていた。
バウケ・モレマは非常に真面目な性格の持ち主だ。被災した宇都宮市をその目で見て、復興のために力を尽くし、まるで何事もなかったかのように整備された森林公園のコースを見て、心に期するものが生まれたはずだ。
自分たちは何のために日本に来たのか。それは観光ではない。勝つためだ。打ち上げは日曜のレースに勝ってからでも遅くはないのだ。
史上最強チーム同士によるサバイバルレース
とはいえ、ジャパンカップに高いモチベーションを持って臨んでいたのはトレック・セガフレードだけではなかった。
日本市場でのビアンキの売れ行きが非常に好調で、さらなるマーケット拡大のために是が非でも勝利がほしいユンボ・ヴィスマ。ジョナサン・ヴォーターズGM自ら来日しているEFエデュケーションファースト。2016年以来の出場となる新城幸也を擁するバーレーン・メリダ。直前のレースで怪我人が続出に4人での出場を強いられた前年王者のミッチェルトン・スコット。過去最大級に豪華なメンバーが集っていた。
いずれもレースに対するモチベーションは高く、レースがスタートすると各ワールドチームが積極的に動いた。
例年は、国内チームや日本人選手を中心とした逃げが形成され、ワールドチームが集団コントロールを行って終盤にペースアップしていくという流れだった。今年は国内チームの逃げを丁寧に潰して、ワールドチームが逃げに選手を送り込もうとしたため、凄まじいハイペースでレースが進行。
結果として、ワールドチーム全チームが1人ずつ逃げに選手を送り込んだ。昨年8位のロバート・スタナード(ミッチェルトン・スコット)、2012年7位のダミアーノ・カルーゾ(バーレーン・メリダ)、昨年も終盤まで逃げたクーン・ボウマン(ユンボ・ヴィスマ)、2018年U23ロンド・ファン・フラーンデレン覇者のジェームス・ウェーラン(EFエデュケーション・ファースト)、そしてトレック・セガフレードのチッコーネを含む8人の逃げが形成された。
チッコーネは逃げ集団内でも積極的にローテーションを回っていて、特に古賀志林道の上りは先頭でペースをつくる場面が多々見られた。
この強力な逃げに、国内チームが協力しながらどうにかタイム差を2分以内に抑えて、後半戦を迎える。先頭からウェーランが脱落し、メイン集団をEFがけん引して、タイム差が1分を切った11周目。逃げ集団ではフランシスコ・マンセボのアタックから、チッコーネのカウンターアタックが決まり、ルカ・ドゥロシと共に抜け出した。
しかし、後続集団ではユンボ・ヴィスマが猛攻の開始を告げるロベルト・ヘーシンクの強烈なペースアップを披露。集団を破壊しながら、逃げとのタイム差を一気に削り取った。このため、逃げていたチッコーネは集団に吸収された。すると、すかさずユンボ・ヴィスマが追撃。セップ・クスが飛び出して単独先行を図った。
このとき、集団にトレック・セガフレードは直前まで逃げていたチッコーネとモレマしかいなかった。クスの動きに対応することができなかったが、ここは他のチームが対処して、間もなく吸収。
すると今度はステフェン・クライスヴァイクがアタックし、レースは残り3周を切った。ツール総合3位の実力者に逃げに対して、集団けん引を担ったのはチッコーネだった。背後を他のユンボ・ヴィスマ勢が固めており、援軍の見込みもないなかで孤軍奮闘。古賀志のつづら折りの上りの途中でクライスヴァイクを集団に引き戻したのだ。
しかし、ユンボ・ヴィスマの攻撃の手は止まらない。クライスヴァイクが捉えられた直後、再びカウンターでクスが飛び出した。モレマやマイケル・ウッズ(EFエデュケーションファースト)といったエースクラスもたまらず、追走に力を使わされていた。そしてこの攻防の最中、チッコーネは集団から脱落してしまう。
モレマ、ウッズ自らの引きによって、ダウンヒルを終えたあたりで、どうにかクスに追いついた。待ってましたと言わんばかりに今度はニールソン・ポーレスがアタック。ユンボ・ヴィスマの怒涛の波状攻撃により、ついに集団の脚が止まってしまった。
ただ、幸いなことにチッコーネがモレマの元に戻ることができた。しかし、ウッズにはアシストはおらず、モレマには手負いのチッコーネがいるのみ。バーレーンもいつの間にか崩壊していてスプリンターのソンニ・コルブレッリのみで、数的不利により後手を引かざるを得ないミッチェルトンはディオン・スミスが辛うじて生き残っていた。しかも、集団にはヘーシンク、クス、クライスヴァイクとユンボ勢がまだ3枚もカードを残している状況。
あと2周半、距離にして残り25kmということを考えても、このまま集団はお見合い状態に陥り、ポーレスの逃げ切りが濃厚といってもおかしくはない展開だ。仮にポーレスを吸収できたとしても、ヘーシンク、クス、クライスヴァイクによるカウンター攻撃が継続されていただろう。圧倒的にユンボ・ヴィスマが有利で、トレック・セガフレードにとって絶望的ともいえる状況だった。
トレック・セガフレードに逆転の道筋はあるのか。モレマの脚は十分に残っているとはいえ、10数秒先行するポーレスに追いつけても、そこから逃げ切れる保証がない。ちなみに、イル・ロンバルディアで独走に持ち込んだタイミングは残り18km地点だった。
残り18km地点、つまりラスト2周を切ってから、古賀志に至る上り区間で、ロンバルディア覇者による切れ味鋭いアタックで、集団のユンボ勢を置き去りにして、先行するポーレスをかわして独走に持ち込む。それしか勝利への策はなかった。
しかし、この作戦を実行する上で一番難しいことは、肝心のポーレスをワンアタックで捉えられる距離で泳がすこと。だが、やるしかなかった。序盤からずっと逃げて、ユンボの波状攻撃も捌いて、疲労困憊なはずほチッコーネに役割は託された。
チッコーネは集団の先頭に立って、捨て身の単独引きを開始。スタート・フィニッシュ地点に戻ってきたタイミングで、ポーレスとのタイム差を12秒に留めていた。
古賀志に向けて上りが始まってもチッコーネの献身は止まらない。顔を上げればポーレスが見える距離を保って、ポーレスを泳がせていた。そうして、古賀志の麓に到達したところで、チッコーネは力尽きた。
その瞬間、モレマはシッティングのまま静かに加速。誰よりも力強いペダリングで、一気にトップスピードに乗る。奇しくも残り18km地点での出来事だった。
この動きに反応できたのは、イル・ロンバルディア5位のウッズのみ。ユンボ勢を置き去りにして、ポーレスをかわして、先頭はモレマとウッズの2人のみに。
数分前とは全く状況が変わった。再三にわたる波状攻撃を仕掛けていたユンボが後手を踏み、ここまで苦しめられたトレックとEFが先行する展開に。独走に持ち込むことが理想ではあったと思うが、ユンボ勢を置き去りにできたので作戦としては大成功といっていいだろう。
ここはひとまず、ユンボ勢に追いつかれないために、モレマとウッズは即座に協調体制を築く。共に1986年生まれ、同い年の2人はしっかりローテーションしながら後続を引き離す。ユンボはクスが単独で追走するも、ロンバルディア勝者と同5位のローテーション走行に同34位が追いつく術はなかった。最終周回に入った時点で、タイム差は28秒に拡大していた。あとは、ウッズに勝つだけ。モレマのミッションは最終フェーズに入っていた。
一方のウッズは、モレマとのスプリントは分が悪いことはわかっていた。仕掛けるなら古賀志の上りで千切るしかない。勾配がキツくなるつづら折りに入るとウッズはダンシングして加速を開始。モレマはシッティングのまま食らいつく。あっという間にKOMに近づくと、ウッズはギアをもう一段階上げる。すると、モレマとの差が開きはじめた。
ただ、このときのモレマはレース後に「自分のペースで上っていた」と語るように、慌てず落ち着いてウッズのアタックをいなしていたのだ。山頂では数秒の差が開いたが、ダウンヒルを得意とするモレマはすぐにウッズに追いついた。
それからの2人は最後のスプリントに備えるために、力をセーブしているように見えた。適度にローテーションしながら、フィニッシュまで残り1kmを切ると、静かにモレマはウッズの背後をとった。
ウッズは何度もモレマの方を振り返っていた。そのとき必ず、左側から後ろを振り返っていたのだ。ウッズの癖を見抜いたモレマは、残り300mを切った左に曲がる最終コーナーで仕掛ける。距離の短いイン側、つまりウッズの左側からではなく、大外から、ウッズの右側からスプリントを開始した。ウッズは反応が遅れてしまった。気がつけばモレマは数m先でもがいている状況だ。モレマは残り50mのフラッグを確認したところで勝利を確信。
終盤はユンボ勢による波状攻撃を受けて、窮地に追い込まれても、モレマはただ勝利のみ一点を見つめて、常に冷静沈着な走りを見せていた。そうして、モレマは表彰台のてっぺんで、シャンパンに口をつけた。
だけれども、この勝利はチッコーネ自身の捨て身の献身があったことを忘れてはならない。チッコーネこそがこのレースの真のMVPではないだろうか。
こんにちは。
今年も中々見応えあるジャパンカップ、クリテリウム、ロード双方共に近年に無い展開で、改めて国内最高峰レースとしての地位にあるのだと実感しました。
その中でも、リッチー・ポート加入で、グランツール表彰台の期待をTREKに抱いたものでしたが、そのポートよりもチッコーネがどんどんとTREKの中で存在感を示し初めましたね。
ジロでの山岳賞、そしてほんの少しではあってもツールのマイヨジョーヌ。
最近のTREKでは見ないような活躍ぶりでまさに孤軍奮闘(マッズの世界チャンピオンは更に凄いですが)
エース級の移籍に頼る感のあったチームですが、チッコーネの出現で来シーズンからのニバリの加入が別の意味で楽しみになってきました。
パンタノのあの事件以降、チームに淀んでいたものが少し晴れたような、チッコーネの走りはそんな気持ちにさせてくれます。
諦める事なく、何度も先頭を強力に引き続ける脚力は最近のTREKでは見られなかったもの、ポートやニバリ、モレマと共に走りながら、遠くない将来、グランツールレーサーとして表彰台争いが出来る選手となる事を、一ファンとして是非とも見守っていきたい選手です。