やっぱり自転車が好き!ダビ・ロペスガルシアの再契約は何を意味するのか?

プロサイクルロードレース選手の一年は過酷だ。例として2016年のスケジュールを見てみる。

シーズン開幕戦とも言えるオーストラリアで行われるツアー・ダウンアンダーは1月19日にスタートする。

約1週間後からは、スペイン・マジョルカ島でサイクルロードレースのシーズンが訪れる。かつてチャレンジ・マジョルカと呼ばれた、ワンデーレースの連戦が1月28日に始まる。

中東では、ドバイツアーが2月3日にスタートし、ツアー・オブ・カタール、ツアー・オブ・オマーンとステージレースが続く。

2月下旬からは早くもクラシックレースの開幕だ。ベルギーでは、来シーズンからワールドツアーとなるオムループ・ヘット・ニュースブラッドが2月27日に。イタリアでは同じく来季からワールドツアーのストラーテ・ビアンケが3月5日に開催された。

ここから世界中で毎週、いやほとんど毎日のようにレースが行われる。

シーズンの終了は、スペインでは9月ブエルタ・ア・エスパーニャが実質シーズン最終戦となり、イタリアは10月のイル・ロンバルディア、ベルギーやフランスでヨーロッパコンチネンタルサーキットのレースがいくつか行われ、ヴァシル・キリエンカが制したクロノ・デ・ナシオンを持って、ヨーロッパでのレーススケジュールは終了となる。

10月からはアジアでのレースシーズンが始まり、日本でのジャパンカップ、中国でのツアー・オブ・ハイナンが行われる。ヨーロッパを主戦場とする選手のほとんどはオフシーズンへと入るだろうが、アジアとアフリカでは11月以降もロードレースは開催される。

つまり1月から10月までのおよそ10ヶ月間を、自転車と共に過ごす選手がいるということだ。それも一カ国ではなく、世界中の国々でである。

UCIレースに参加するプロ選手たちには、ドーピング対策のため、現在地の報告が義務付けられている。レース後の抜き打ちの尿検査も日常茶飯事。より速く走るために体脂肪率を下げた選手たちは、風邪をひきやすいが、ドーピングの恐れがあるためおいそれと風邪薬を飲むことすらままならない。好きなものを食べるのではなく、レースで戦う栄養補給のための食事をとる。愛する家族と触れ合う機会は、シーズン中はそう多くは取ることが出来ない。

日常生活の全てを自転車に捧げることで、ようやくプロ選手として活動が出来るのである。

日常生活の全てを捧げても、一流の選手になれるとは限らない。ツール・ド・フランスに出場するレベルの選手であっても、年俸500万程度の選手も多くいるとの話だ。

プロサイクルロード選手の生活は、過酷すぎるのである。

それでもなお、自転車に乗り続ける理由とは

さいたまクリテリウムに出場した新城幸也が、来シーズンからワールドツアーのレースが増えることについて、インタビューでこのような発言をしていた。

『ぼくは、自転車に乗ることが好きなタイプなので、レースに出られるなら、いくら出ますよ!』

アピールでも何でもなく、ユキヤはただただ自転車に乗るのが好き、という純粋なモチベーションでプロサイクルロードレース選手を務めているように感じた。

時には砂嵐の中を、雪の中を、自動車でも通りたくないような石畳の上を、蜂に刺されながらも、骨折しながらも走り続けることが、なんだかんだで楽しいということだ。[1]もちろん、その瞬間は大変だとは思うが…常人には理解できないほどの喜びを感じるからこそ、プロとして活躍出来るのだろう。

したがって、プロが自転車を降りるときは、自転車への情熱が失われた時や、他のことに自転車に乗る以上の価値を見出した時だ。とりわけ、家族との時間を大切にするために、引退を決意する選手は多いようだ。

ロペスガルシアは自身の進退に悩んでいた

チームスカイは、ダビ・ロペスガルシアと1年間の再契約を発表した。

スカイが、ロペスガルシアとの再契約に後ろ向きであったため、他のチームへの移籍を試みるが、芳しくなかったためスカイと再契約した、という話ではない。むしろ、スカイはロペスガルシアとの再契約に積極的だったに違いない。

今年のロペスガルシアの走りは、抜群の貢献度だった。

特にブエルタ・ア・エスパーニャでは、クリス・フルームのアシストとして獅子奮迅の活躍を見せた。

最も印象に残っているシーンは、第15ステージだ。アルベルト・コンタドールとナイロ・キンタナが協調して逃げを決め、フルームは遅れてしまった。前日の第14ステージで疲弊したスカイのアシスト陣は、フルームのいる追走集団からも遅れてしまい、フルームの側には2人のアシストしか残っていなかった。

1人はサルバトーレ・プッチオで、もう1人がロペスガルシアだった。残ったプッチオも早々に千切れてしまい、レースを半分以上残した状態でアシストがロペスガルシアただ1人という状況に追い込まれた。

ただ、ロペスガルシアは前日の第14ステージでは逃げ集団に乗っており、メイン集団でオールアウトするほどのアシストはしていないため、体力に余裕があった。逃げるマイヨ・ロホを追うために、ロペスガルシアは全開でフルームを牽き続けた。

途中、アスタナやオリカ・バイクエクスチェンジの協調を得ながらも、行程のほとんど大半をロペスガルシアが牽いていた。終盤の山岳で、ロペスガルシアは力尽きてしまったが、この献身的な牽きがあったからこそ、最小限のタイムを失うにとどめることが出来て、第20ステージまで白熱の総合バトルが展開されたのである。

第15ステージはコンタドールやキンタナにあまりにもスポットライトが浴びて、スカイのアシスト陣は不甲斐なさを叩かれる論調すら見かけられたが、2016年のブエルタ総合2位の立役者は間違いなくロペスガルシアだ。

これだけの献身的なアシストを出来る、実力のある選手を手放したいと思うはずがない。何ヶ月も前から、再契約の打診はあったに違いない。

だが、11月に入るまで再契約の発表は無かった。

なぜなら、ロペスガルシア自身が引退するかどうかを悩んでいたからだ。

2016年のロペスガルシアは、1月28日のマジョルカシリーズでシーズンインして、10月23日のジャパンカップでシーズンを終えた。トータルで85日間レースに出場し、13000km以上走った。他にもトレーニングのため、何千kmと走っているはずだ。

シーズン走行距離13000kmは、35歳のシーズンにして自己最多記録である。ちなみに、3つのグランツール全てに出場したアレハンドロ・バルベルデは15000kmで、クリス・フルームは11000kmだ。

身体への負担は、相当なものだろう。そして、何よりも自分の時間がほとんど無かったことは容易に想像出来る。

35歳で、若い時のように、思い通りに身体が回復しなかったり、とっさの反応速度が落ちていることも実感しているのかもしれない。家族との時間をもっと取りたいとも思っただろう。ロペスガルシアの頭に引退の二文字がよぎるのも、無理のない話である。

しかし、それでもロペスガルシアは来年も自転車に乗ることを決意した。

なぜだろうか?

わたしは、シンプルに『それでも自転車が好きだから』だと思う。

サイクルロードレースとは、自転車好きが集まった、自転車好きによる、自転車好きのためのレースなのだ。だから、レースを見ていると自転車に乗りたくなるのではないだろうか。

来年も、ロペスガルシアの走りを楽しみにしている。

Rendez-Vous sur le vélo…

References

References
1 もちろん、その瞬間は大変だとは思うが…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)