ツアー・ダウンアンダー第5ステージは、リッチー・ポートが持ち前の爆発力を遺憾なく発揮して、ウィランガヒル4連覇を果たした。
ダウンアンダーの坂では、オーストラリア・タスマニア島出身のクライマーを止めることが出来る選手は誰もいなかった。ポートの独壇場だ。総合2位のエステバン・チャベスに48秒差をつけ、いよいよポート自身初のツアー・ダウンアンダー総合優勝が現実的となってきた。
ポートだけでなく、地元オーストラリア人選手の活躍が目立っている。ここまでステージ3勝のカレブ・ユアンもそうだし、総合成績上位10名のうち、実に5名がオーストラリア人だ。総合3位のネイサン・ハース、同4位のジェイ・マッカーシー、同6位のローハン・デニス、そして同10位のネイサン・アールだ。
有名なトップライダーに混じって、一人あまり馴染みのない選手が混じっている。
そう、今回はネイサン・アールの話をしようと思う。
2017年から日本のTeam UKYOに移籍
まだ馴染みはない選手だが、これから名前を耳にする機会が増えるかもしれない。なぜなら、2017年から日本のコンチネンタルチームであるTeam UKYOへ移籍したからだ。
Team UKYOと言えば、2016年のツアー・オブ・ジャパン、ツール・ド・熊野で総合優勝を果たしたオスカル・プジョルの所属するチームだ。プジョルはジャパンカップでも5位に入る好走を見せ、日本のコンチネンタルチームの存在感を大いに示してくれた選手である。
ネイサン・アールもプジョルのように、日本国内外のレースでの活躍が期待されての移籍である。そして、今回アールの経歴を調べているうちに、プジョル以上の成績を残してくれるのではないかと大いに期待できるほどの強力なライダーであることが分かった。
まずは、アールの経歴を簡単に紹介しようと思う。
リッチー・ポートと同郷のよしみで、かつてのチームメイト
アールは、ポートと同じくタスマニア島出身の選手だ。
そして、アールとポートは共に、2008年からは地元タスマニア島に本拠地を置くコンチネンタルチームであるプラティーズに所属した。プラティーズは現在、アイソウェイスポーツ・スイスウェルネスというチーム名になっているが、今も存続しているチームだ。
ポートは2008年のツアー・ダウンアンダーにはUniSAオーストラリアチームとして出場し、総合9位という好成績を収める。さらにジェイコ・ヘラルド・サンツアーでも総合5位という結果を残した。若くして、トップカテゴリーで好成績を残したことで、2010年からワールドチームであるサクソバンクへの移籍を決める。
一方で、アールは特筆すべき戦績を残すことは出来ず、長らくプラティーズで走っていた。ポートとは2年間、同じチームで走り、寝食を共にしていたのだった。
そんなアールに転機が訪れたのは2013年だった。
まず、2.1カテゴリーのツール・ド・台湾でステージ優勝をあげると、同じく2.1カテゴリーのツアー・オブ・ジャパンでもステージ優勝をあげる。TOJでは獲得標高3,750mに達する難関伊豆ステージを制している。
伊豆ステージは、2016年に新城幸也が大腿骨骨折から驚異の回復力を見せ復活のステージ優勝をとげたステージだ。この伊豆ステージでのユキヤの活躍なしに、ランプレ・メリダのツール・ド・フランス出場メンバーに選ばれることは無かっただろう。
つまり、アールも難関の伊豆ステージを制したことが、己の実力を示す大きなチャンスとなり、このアールの活躍に目をつけたチームが移籍を打診したのだった。
そのチームとは、チームスカイだ。2013年のチームスカイと言えば、ブラッドリー・ウィギンスがツール初優勝を果たした年である。
それまでコンチネンタルチームでしか走ったことが無かったアールにとっては、チームスカイという世界最強のワールドチームへの移籍は、2階級特進では済まないほどの大出世である。
そして、ウィギンス、クリス・フルームに次ぐスター選手へと成長していた、リッチー・ポートと再びチームメイトになったのだ。
フルーム、ポートのアシストの務めながら、要所で存在感を示す
名も無きオーストラリアの果ての地で、細々とプロ生活を送っていたアールにとって、スター選手揃いのチームスカイへの移籍は、一人の自転車好きとして気持ちが有頂天に達する喜びあったようだった。
この頃の様子が、詳細に記されている記事を見つけたので紹介したい。
ネイサン・アール:プロとしての役得(第1部)
ネイサン・アール:プロとしてのプレッシャー(第2部)
一部を引用させていただくと、
『全く信じられないよ。興奮したね。痛みに苦しんでいても、凍えていても、望みよりも早く脱落しているかもしれなくても、心の中では微笑んでいるんだ。だってクリス・フルームのために走っているんだから。ツール・ダウンアンダーでリッチー・ポートのために走った時も、ツアー・オブ・カリフォルニアでブラッドリー・ウィギンズのために走った時も同じだった。
(中略)
もしくは、クリスがやってきて「ねえ、ネイサン、車に戻って雨具をとってきてくれるかい?」と言われ、プロトンの中を「失礼、クリス・フルームに雨具をとりに行くんです。」と言いながら下がっていくんだ。僕以外にはどうでもいいことだけど、できればもっと味わいたい一生に一度の経験だよ。』
と言った様子だ。完全に舞い上がっていると言っても良さそうだ。
だが、ネイサン・アールも一人のプロサイクリストである。プロとしてアシストの役割を全うする中で、自分の力を示すことも忘れてはいなかった。
アールにとって移籍後初のヨーロッパでのレースとなった、2.1カテゴリーの2日間のステージレースであるツール・デュ・オー・ヴァルで、総合12位という成績を残す。ワールドチームも数多く出場するレースで、ネオプロのアールが総合12位という成績は立派なものだった。
そして、初めてのクラシックレースとなった、リエージュ~バストーニュ~リエージュでも存在感を示した。
フルームとポートも出場していたが、二人とも途中リタイアとなってします。その後もチームメイトにリタイアが続き、アールはチームスカイから残った最後の選手となっていた。
このサバイバルレースを、アールは見事に完走した。トップから5分16秒遅れの70位でフィニッシュしたのだった。
というように、移籍1年目の2014年は要所で印象に残る活躍を見せていた。
しかし、移籍2年目の2015年は、1年目ほどの活躍を見せることが出来なかった。チームスカイは世界屈指の豊富な戦力を誇るチームである。残念ながら、アールは契約更新することが出来なかった。
チームスカイにいた2年間で、リエージュ~バストーニュ~リエージュには2回出場することが出来たが、グランツールへの出場は叶わなかった。
2016年からは、再びオーストラリアへと戻る。プロコンチネンタルチームのドラパックチームへと移籍した。
ドラパックチームは、ワールドチームのキャノンデール・ドラパックのスポンサーになったことが影響して、プロコンチームのドラパックチームは解散となる。
再びアールは移籍先を探すことになった。そんな時に、アールに声をかけたチームがTeam UKYOだった。
Team UKYOの目標は”ツール・ド・フランス出場”
チームスカイに所属していた2年間で、アールはグランツールへの想いを馳せたことだろう。間近にはツールで総合優勝を果たしたウィギンスやフルームだけでなく、2人をアシストした選手たちと2年間過ごしていたのだ。プロサイクリストなら誰もが、グランツールへの出場を夢に見ることだろう。
しかし、チームスカイではアールの願いは叶わなかった。
ワールドチームでアシストを全うするほどの実力者であれば、少なくともプロコンチネンタルチームへの移籍は出来たはずだ。グランツール出場を目指すなら、全く可能性のないコンチネンタルチームよりプロコンチームに移籍した方が良いに決まっている。それでも、Team UKYOに移籍を決めた理由は何だろうか?
それは、Team UKYO監督の片山右京の情熱だろう。
オスカル・プジョルも、かつてワールドチームのオメガファルマ・ロットに所属していた選手だ。そのプジョルの獲得にあたって、右京監督は『ツールに絶対に連れていくから』と口説いたと言います。
アールも右京監督の情熱に触れ、縁のない日本のコンチネンタルチームへの移籍を決めたのだろう。
Team UKYOは、2017年シーズンから国外のレース、主にUCIアジアツアーを主戦場としていく方針だ。
ツールへの遥かな道を目指す一歩として、まずはアジアツアーで実績を残して、プロコンチネンタルチームへと昇格せねばならない。
アールには、Team UKYOをプロコンへと導くエース格としての活躍が期待されている。
2013年、ツール・ド・台湾、ツアー・オブ・ジャパンなどで好成績を連発した背景は、アールをエースとして起用したからではないかと見ている。アールはアシスト選手としてではなく、エースとして周囲の期待を集めながら走ることが性に合っているのかもしれない。
ツアー・ダウンアンダーでの成績は、2014年は総合40位、2016年は総合34位だった。今年は総合10位をキープしていて、自己最高位を記録することになるだろう。
チームスカイでの2年間で、世界で最も優れたエース選手たちと共に過ごしたこと、エースの何たるかを肌で感じ、学んできたものが、今まさに発揮されようとしている。
ワールドツアーのステージレースでトップ10に入るような選手が、Team UKYOを引っ張ってくれることは、本当に頼もしい限りである。
初開催のツール・ド・とちぎ、ツアー・オブ・ジャパン、ツール・ド・熊野、ツール・ド・北海道、そしてジャパンカップへの出場の可能性は高いと思われる。もしかしたら、Jプロツアーでもネイサン・アールの勇姿を見ることが出来るかもしれない。
2017年はTeam UKYOの躍進と共に、ネイサン・アールの名が国内外に轟くことだろう。
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