「試合前に相手選手に挨拶されるのはもちろん、目を合わせることすら嫌だった。そうでないと厳しいところを突けない。この野郎、という気持ちにもなれない」
とは、今シーズン限りで引退した広島・黒田博樹投手の言葉だ。
硬式球を使うプロ野球では、当たりどころが悪ければ命を落としかねない。プロのピッチャーとは、対戦バッターの命を奪うかもしれないという覚悟、心境の中でプレーしているのだ。中には、相手打者の頭にぶつけてしまったことで、ボールを投げることが出来なくなり、引退した選手もいたほどだ。
相手打者を抑えるためには、どうしても身体の近くの厳しいインコース攻めをしなければならない。ぶつけてしまうかもしれない恐怖とも戦いながら、ピッチャーは生きていかねばならない。
昨今のプロ野球界では、オリンピックへのプロ選手派遣に始まり、WBCの開催を経て、日本代表チームが組織されるようになった。普段はライバル、敵同士の選手たちも、同じユニフォームを着て、同じ目的で共に戦う仲間となる。
今では、シーズン中にライバルチームの選手と共に食事に行くなど、球団間の垣根を越えて、仲良しな選手たちが増えてきている。
わたしは、ライバルチームの選手と仲良くしてはいけない、馴れ合いは辞めろ。と言いたいのではない。ただ、黒田投手が真のプロフェッショナルだったことを感じてほしいだけである。
サイクルロードレース界にも、今の日本プロ野球界に似た状況と言える。
かつては、ライダー個人の力でツール・ド・フランスのようなグランツールを制していた時代もあったが、最近では集団の力が強く、出場22チーム中21チームから嫌われるような状況では、どれだけ強い選手、強いアシストたちがいたとしても、総合優勝は難しいだろう。そのため、総合優勝を狙うような選手は、周りからリスペクトを集める言動・振る舞いが大切になってきている。
総合優勝を狙うエース選手は、そもそもチーム内で「この人のためなら全力でアシストできる」と思われるような人格者でないと務まらない。実力を伴った人格者であればあるほど、自然とチーム内外からリスペクトを集めやすくなった結果であるとも言えるだろう。
人格者たるエースをアシストしていた選手が他のチームに移籍しても、元いたチームのエース選手と仲良しのまま、という状況が散見される。
最も顕著な例は、かつてチームスカイでチームメイトだったリッチー・ポートとクリス・フルーム
リッチー・ポートは2012年にスカイプロサイクリングチームに移籍した。当時のスカイはブラッドリー・ウィギンスが絶対的エースで、前年は途中リタイアに終わったウィギンスのツール制覇のために、クリス・フルームと共にリッチー・ポートも出場した。これがポートとフルームが初めて一緒に出場したグランツールだった。
2012年のツールはウィギンスが総合優勝を果たした。しかし、総合2位のフルームとの確執が表面化した。ウィギンスは総合優勝した2012年以来、ツール・ド・フランスに出場していない。2013年は怪我の影響だったとはいえ、チーム内でフルームとウィギンスの序列に変化があったことは確かだ。
そうしてフルームの時代となり、フルームの最も重要なアシストがリッチー・ポートだ。
2012年ツール、2012年ブエルタ、2013年ツール、2014年ツール、2015年ツールでフルームと共に出場し、2013年と2015年のフルームのツール総合優勝を献身的にアシストした。
ポートのハイライトは、何と言っても2013年ツール第18ステージだろう。
第17ステージ終了時点で、フルームは総合2位のアルベルト・コンタドールに4分34秒差をつけて独走していた。第18ステージは、ラルプデュエズ山頂へとフィニッシュする難易度の高いステージだった。
ラルプデュエズの登りで、ナイロ・キンタナ、ホアキン・ロドリゲス、そしてフルームのハイペースについていけなくなったコンタドールは失速した。第17ステージ終了時点で総合5位のキンタナと同6位のホアキンを抑えることが出来れば、初のマイヨ・ジョーヌがぐっと近づくという状況だった。
局面は既に最終盤であり、エース同士の山岳バトルが始まると思いきや、フルームは仕事を終えたはずのリッチー・ポートを呼び寄せる。フルームに呼び出されたポートは、超級山岳ラルプデュエズの登りを快調に走ってフルームたちの小集団に追いつく。
この不可解な動きには理由があった。フルームはハンガーノックに陥っていたのだった。
フルームの異変に気付いたキンタナとホアキンは、アタックしてフルームを置き去りにする。完全にエネルギー切れのフルームは全く反応することが出来ない。山頂まで残り5km、5分以上のアドバンテージがあるとはいえ、超級山岳でのハンガーノックは致命的で、マイヨ・ジョーヌを失いかねない危機に陥った。
本来はフィニッシュまで20kmを切ってからの補給は禁止だが、ポートはフルームのためにチームカーまで戻り補給食をフルームの元へ運んだ。レース後、二人には違反金の支払いと20秒のペナルティーを受けた。
急場を凌いだとはいえ、一度ハンガーノックに陥った身体に力はすぐには戻らない。ポートは何度もフルームを振り返りながら、ペースを合わせて献身的なサポートに徹する。
そして、キンタナ、ホアキンから1分近いタイムを失ったものの、総合2位のコンタドールには逆に1分近いタイムを奪う結果となり、マイヨ・ジョーヌを守ることに成功した。
こうして、2013年のツール・ド・フランスはフルームの初優勝で幕を閉じた。リッチー・ポートの働き無くして、フルームのマイヨ・ジョーヌは無かったに違いない。
フルームから絶大な信頼を得た相棒だったが、2016年にBMCへ移籍
2015年、フルームのツール2度目の総合優勝をサポートしたポートは、BMCレーシングへの移籍を決意する。
やはりプロサイクリストとして自分の力を試したい気持ちが強かったのだろう。BMCレーシングではステージレースのエースとして、シーズン序盤から好成績を残していく。
そして、ツール・ド・フランスで両者は相まみえる。
リッチー・ポートは第2ステージ残り5km地点でパンクしてしまい、総合ライバル勢から1分45秒のタイムを失ってしまった。
第9ステージ、雨が降る超級山岳・アンドラアルカリスで、1分以上タイム差のついているポートは、リスクを取った攻めに出る。…ことは無かった。
むしろ、フルームをアシストしたのではないか?と、メディアに疑われてしまうような、小集団の先頭を一定ペースで刻む走りを見せていた。結局、フィニッシュ寸前でフルームから離され、2秒失う結果となった。
※参考:Richie Porte rubbishes claims he was ‘helping’ Chris Froome in Tour de France mountains
疑惑を意識してなのか、第10ステージ以降の山岳の登りでは、積極的にフルームに仕掛けるポートの姿が見られたが、決定打を与えることは出来なかった。
最終的にポートはこの年のツールをグランツール自己ベストの総合5位で完走し、単独エースとして十二分戦えることを証明した。ゆえに、筆者もリッチー・ポートのツール・ド・フランス制覇を期待してるし、応援したいと思っている。
ツール・ド・フランスでライバル同士で走ったフルームとポートは、Twitter上でこのようなやり取りをしていた。
Outrage as Toblerone increase gaps between the bar’s peaks in order to make them lighter https://t.co/Yh7WGrlfil pic.twitter.com/SbC7GGjxbE
— Daily Mail Online (@MailOnline) 2016年11月8日
というツイートを引用リツイートしながらフルームは、ポートにリプライを送った。
@chrisfroome absolute outrage! 😡
— Richie Porte (@richie_porte) 2016年11月8日
トブラローネというチョコレート菓子の量が、極端に減ってしまったことに対して、フルームはポートに『どう思う?』と聞き、ポートはフルームに『激おこプンプン丸!』(※筆者意訳)と返している。
※参考:【皮肉】新しいTobleroneのチョコレート。物置になると話題に
なお、このやり取りをしている日は、アメリカ大統領選の開票作業が進められている時であり、このツイートを見たとき、何ともほのぼのとした気分になったものだった。
同時に、これでいいのだろうか?という一抹の違和感もあった。
これほど仲良しのフルームに、ポートは非情なる攻撃を仕掛けることが出来るのだろうか
2013年ツールの第18ステージでハンガーノックに陥ったフルームに対して、キンタナはアタックを仕掛けた。
2016年ブエルタ第15ステージでも、序盤から遅れたフルームに対して『全開!全開!』と号令を出して、3分以上のタイム差をつけてフィニッシュしたように、キンタナはフルームのピンチの際に容赦なき攻撃を度々仕掛けている。キンタナは勝負しとして当然の行為である。
もしもポートがツール・ド・フランス総合優勝を狙うなら、フルームは倒さねばならない敵である。ましてや現在世界最強と言えるオールラウンダーなのである。情け容赦をかけて勝てる相手ではない。
2016年ツールの第9ステージで、ポートはフルームをアシストする意思は無かっただろう。コンディションも悪く、アシストも失った状況のフルームに対して、リスクをとった攻めを見せても良かったのではないかと思う。
筆者は『プロなら勝負に徹するのが当たり前だ。』という価値観を押し付ける意思は全くない。ツール・ド・フランスの総合優勝ほどの頂点を目指すなら、非情とも言える攻撃性が必要ではないかと考えているだけである。
弱者が強者に勝つためには、相手の弱みにつけこむ戦いをする必要がある。美しく勝つことが出来れば理想的だが、時として泥臭い勝ち方も必要だろう。そして、サイクルロードレースとは『強い者が勝つとは限らない』から面白いのである。
マイヨ・ジョーヌを獲るために、リッチーよ非情になれ…。
Rendez-Vous sur le vélo…
こんにちは。毎日楽しく拝見しております。
いつも本当に面白い記事を書いていらっしゃって、更新がいつも楽しみです。
いつか、私がファンであるバルベルデ、ニバリの特集が掲載されたらなーと思っています。
今後も応援しています!
林さん、嬉しいコメントありがとうございます!
バルベルデとニーバリですね!
モビスターの戦力分析をする時に、バルベルデネタを書けないか考えながらやってみます。ニーバリは、新チームということもあって書きがいがある気がするので、これも調べて書いてみますね!
こういうリクエストは嬉しいですし、助かります♪
モン=デュ=シャでアルがフルームのメカトラに乗じようとしたのをポートが制したのは確かに「イイ話」ではありましたが、見方を変えるとポートの弱さかもしれないですね。
あそこでポートが乗ったらバルデもウランも乗ったでしょうし、そうするとフルームが挽回できたかわかりませんし、なによりダウンヒルでの落車もなかったかもしれません。
もちろんポートはそんな勝ち方はしたくない!という男なんでしょうけど・・・
ただフルームという絶対強者に挑む弱者としてはなりふり構っていられないってのも一理ある気がします。
フルームやメディアからの総バッシング覚悟で「そういうこと」ができるようになったときにポートが勝てるときが来るのかもしれません。
(なんとなくフランスメディアはそこまで叩かなかった気もします、バルデ的に考えてw)
逆にアルは批判受けることはわかりきってただろうにアタックを掛けるあたり、メンタルの図太さという点では他の若手より強いのかもしれませんね。
はしっこさん
そういえば、こんな記事も書いていました笑
しかし、まあさすがにメカトラに乗じてアタックすることを”非情”と言い切るのは難しいかもしれません。
どちらかと言うと、ドーフィネ第8ステージで見せた、苦しむフルームに追いついてもすぐに千切って前を追うような姿が、わたしのなかでの”非情”というイメージで書きました。
ツールであれば、もしポートがリタイアせずに迎えた第17ステージでAG2Rが攻撃を仕掛けたタイミングでフルームがメカトラで遅れたところは、フルームを待つ必要はなかったので、バルデと協調して攻めるなんてシーンが見たかったかもですね。
アルは図太いのか、気が小さいのかよくわからないです笑