「絶対に負けられない戦いがそこにはある」
事あるごとに使われすぎて、もはや陳腐化してしまったと言えるキャッチフレーズではあるが、UAEアブダビ改め、UAEチームエミレーツにとって、アブダビツアーは本当の意味で「絶対に負けられない戦い」だった。
アメリカ野球のメジャーリーグ、日本サッカーのJリーグなどは、リーグを主催する母体となる団体が中心となってリーグ全体の運営を行っている。
放映権やスポンサー収入を、リーグの運営団体が一手に引き受け、各チームに分配するシステムとなっている。
そのため、各チームは最低限の収入は確保出来ているため、チームが勝つための努力に100%力を注ぐことが出来るのだ。
一方で、日本プロ野球、モータースポーツのF1グランプリなどは、リーグやグランプリを主催する団体はあるが、チームの運営費や強化費用は、チーム毎に主にスポンサー収入に依存するシステムとなっている。
そのため、大口のスポンサーを得られないチームは、どうしてもチーム強化費用が少なくなり、リーグやグランプリでは苦戦を強いられやすい。
サイクルロードレースは、完全に後者のシステムとなっている。
1年あたりの述べ視聴者数35億人を誇る、世界最大級のスポーツイベントであるツール・ド・フランスの放映権は、全て主催団体のASOの懐に入る。
そこから参加チームへの分配金は、賞金以外にはほとんどない。
年間10億から20億にのぼるとも言われているワールドチームの運営費の大半は、スポンサーからの収入に依存せざるを得ないシステムなのである。
大口のスポンサーともなれば数億円単位で出資することも珍しくない。
数億円かけた広告費リターンを得るためにも、出資したチームの選手たちには、是が非でも人の目のとまるところに露出して欲しいと願うだろう。
そして、最も効果のある露出方法は、注目度の高いレースでの勝利することであるのは言うまでもない。
したがってなかなか勝てないために露出が少ないチームに対しては、スポンサーも費用対効果が低いと判断して出資を打ち切ることもあるだろう。
重要な収入源を失ったチームは、新たなスポンサー探しに奔走することになり、もし出資者が見つかれなければチーム解散の憂き目にあうことも決して珍しくない。
もはや国家プロジェクト級のチームとなったUAEチームエミレーツ
アラブ首長国連邦、略してUAEと呼ばれるこの国は、その名の通りいくつかの首長国からなる連邦国家だ。
UAEには7つの首長国が存在し、UAEの首都をかねるドバイ首長国の人口・経済ともに存在感は抜きん出ている。
ドバイに次ぐ人口数・経済規模をもつ首長国が、同国内最大の面積を誇るアブダビ首長国である。
そのアブダビを本拠地とするサイクルロードレースチームが、UAEアブダビだった。
アブダビツアーの直前に、UAEアブダビは新たなスポンサー獲得にともない、チーム名の変更を発表する。
エミレーツ航空と契約したのだった。
UAE国内には、エミレーツ航空とエティハド航空の、2つの大きな航空会社がある。
エミレーツ航空はドバイ国際空港を本拠地とし、エティハド航空はアブダビ国際空港を本拠地としている。
つまりアブダビを本拠地とするチームにも関わらず、ドバイを本拠地とする企業と契約したのだった。
それも最も重要なチーム名となるメインスポンサーとしてだ。
これは、新生・UAEチームエミレーツはもはやアブダビのチームではなく、名実ともにUAEのチームとなり、
アブダビの王様たちが気まぐれで始めた趣味ではなく、石油などの天然資源に依存する経済から脱却を図りたいUAEの国家プロジェクトとなったことを意味する。
同国最大のレースがアブダビツアー
1ヶ月前に、ドバイツアーが行われた。
これはHCクラスのステージレースだ。
ドバイツアーはピュアスプリンター向きのレースで、強力なスプリンターのいないUAEチームエミレーツにって、サッシャ・モードロのステージ5位、ユシフ・ミルザの総合13位がチーム最高成績だった。
対して、全4ステージからなるアブダビツアーも基本的にはスプリンター向きのステージが多い。
唯一第3ステージのみは、標高1000mのジュベルハフィートへフィニッシュする、クライマーやパンチャー向きのステージとなっている。
第1・2・4ステージで優勝することは、UAEチームエミレーツのチーム力的には難しい。
総合優勝を果たすためには、唯一大きなタイム差をつけることが出来る第3ステージでの優勝が必須だ。
つまり、UAEチームエミレーツはアブダビツアーで十分な露出効果を得るためには第3ステージで優勝することが、唯一絶対の手段だった。
この難題と言えるミッションを遂行するために、UAEチームエミレーツの精鋭が集められた。
2013年世界チャンピオンのルイ・コスタ。
2016年アブダビツアー総合3位のディエゴ・ウリッシ。
2016年ツール・ド・フランス総合8位のルイス・メインチェス。
まるでツール・ド・フランスに出場するかのようなベストメンバーを揃えてきた。
勝負どころのジュベルハフィートの登りでレースが動く
残り9.3km地点、最初に動いたのはモビスターのナイロ・キンタナだった。
ライバルチームたちは、キンタナを猛烈に警戒しているため、このアタックは潰される。
代わってトレック・セガフレードのピーター・ステティナがエースのバウケ・モレマのためにペースを刻む。
この時、ルイ・コスタが集団最前方、ウリッシが集団中頃、メインチェスは集団最後方に位置していた。
あらゆる状況を考慮して、まるで三段ロケットのように構えていた。
残り7km地点、アスタナのパオロ・ティラロンゴの緩やかな飛び出しをきっかけに、数名の選手が集団から先行する展開となる。
この先行した集団には、静かにルイ・コスタがついていった。
キンタナ、コンタドール、モレマ、ファビオ・アル、ヴィンチェンツォ・ニーバリといったビッグネームが含まれていなかったこともあり、メイン集団は先行集団を静観していた。
キンタナたちが動かないことを見るやいなや、ルイ・コスタは一気に加速した。
第一ロケット発射だ。
決定的なアタックになりかねないと判断したのは、カチューシャ・アルペシンのイルヌール・ザッカリンのみだった。
単独でルイ・コスタへのブリッジに成功している。
取り残されたメイン集団では、前を追おうとキンタナがアタックをするも、ことごとくコンタドールやニーバリに潰されてしまう。
メイン集団でつばぜり合いをする間に、ルイ・コスタは決死のアタックを実らせようとハイペースで突き進む。
追いついてきたザッカリンと2人で協調しながら、メイン集団を突き放しにかかる。
残り5km地点で、後方とのタイム差は20秒程度まで広がっていた。
先頭のルイ・コスタとザッカリンを目指して、チームサンウェブのトム・ドゥムランが集団から飛び出した。
TTスペシャリストであるドゥムランは、一定のペースで淡々とペダルを回して、着実に先頭との差をつめている。
更にその後方からは、同じくTTスペシャリストの脚質を持ち、山岳にも滅法強いモレマも単独で追いかけてきている。
メイン集団では相変わらず、キンタナが仕掛けては潰されて、他の選手のアタックをキンタナがチェックする不毛な展開が続いている。
残り1.5km地点、ルイ・コスタとザッカリンに対して、ドゥムランは14秒遅れ、モレマは25秒遅れ、メイン集団とは1分以上の差がついていた。
残り1km地点、ドゥムランは先頭にあと6秒という距離まで肉薄する。
ルイ・コスタたちは振り返れば、そこにドゥムランがいるような近距離だ。
ルイ・コスタとザッカリンは危機を察知して、ギヤを一段上げて加速する。
フィニッシュ前は短いダウンヒルがあるステージレイアウトにルイ・コスタたちは救われた。
ドゥムランを振り切ることに成功し、ダウンヒルを下りきってから残り300m地点、ルイ・コスタは最後のスプリント体勢に入る。
残った力を振り絞って、先頭でフィニッシュした。
ミッションコンプリート。
胸のスポンサーロゴを指差してから、両手を天高く突き上げた。
国の威信を背負ったレースで、絶対に負けられないレースで、ルイ・コスタはこの難題なミッションをやり遂げる完全なる勝利だった。
「ロードレースは必ずしも強い者が勝つとは限らない」という言葉に表されるように、狙って勝つことはとても難しいことなのだ。
ルイ・コスタの勝利は番狂わせとは決して思わないが、キンタナやコンタドール、ドゥムランやモレマなど、まともに戦ってはいけないライバルがゴロゴロ走っているレースで、狙い通りに勝利をおさめたことがどれほどの偉業であるか、筆舌に尽くしがたいものがある。
ただ一つ言えることは、プロの仕事をやり切ったルイ・コスタの姿は最高にカッコよかったことだろう。
アブダビツアー総合優勝にも王手をかけ、新生・UAEチームエミレーツにとって最高の船出となった。
次なる目標はグランツールでの勝利だ。
ルイ・コスタはジロ・デ・イタリアに出場予定となっている。
ジロでも頼んだぞ、ルイ・コスタ。
Rendez-Vous sur le vélo…